コミニュケーション能力(コミュ力)とは何か?

企業が求めるコミニュケーション能力(コミュ力)

人に便利に使ってもらえる能力のことです。一言でいうと、素直で頑張る子がよいわけです。能力はあったほうがよいが、使う側が委縮するような人や反論するような人は使い辛いからいらないわけです。

でも、そんなことをいうと社会的にバッシングされかねないですから、「コミニュケーション能力(コミュ力)」というものを持ち出して、社会の建前をうまく使って表現してるわけすね。

協調性などといってますが、要は社風に染まりやすいとか、理不尽な目にあっても不満を言わないとかそういう感じのことを言っています。

また主体性においても同じです。自発的に行動してほしいというのは、1を聞いて5ぐらいの作業をやってほしい、気が利く行動をとってほしいということです。リーダーシップを取れるとかでなくて、命令に従順でそれでいて、こちらの意図を察して命令以上のことをしてほしいということです。勝手なことをする人間は必要ないんです。


コミニュケーション能力(コミュ力)

コミニュケーション能力(コミュ力)が、人間性や人格と深くかかわるように感じますが企業が求めているのは違うことに気付いたでしょう。

いい加減で人の迷惑になるようなやつでも、企業が求める人材なら問題ないわけです。いい加減で人の迷惑になるようなやつでも、協調性らしきものがあって主体性があって能力の高い人なんていくらでもいますよね。仲間内で、嫌われてるかどうかはわかりませんが、会社は問題にしません。

それは、協調性が或る人間とは言えないと思うかもしれませんが、会社がいう協調性というのはそういうものなのです。


コミニュケーション能力(コミュ力)がなくても採用されるのか?

採用されます。ただイメージですよね。「友達がいない、友達が少ない」「バイトもしたことがない」「サークル活動をしたことがない」など、社会との接点がないと、理不尽な目にあってもやっていけるのかとかそういうのが目に見えにくいですよね?

いつの間にか、協調性とか主体性の話でなく、「理不尽な目にあった時」の話になってますが、要はそういうことなのです。

理不尽な目にあった時にうまく対応できるかどうか、また周りとも調和できるかどうかなんです。あと、使い側が便利な道具(人でない)として使えるかどうかという話です。

仕事では、人間性なんてほとんど必要とされません。多くはテクニックで乗り切れます。ヘタに人間性なんてあると苦しみます。

友達がいなくても、友達がいないと正直にいう人間はどちらかというと要領がわるいということです。友達は数名しかしませんがとかに言い方を変えるべきなんですね。それが嘘かどうかなんて些細な話です。

バイト(サークル)をしてない学生も多いですし、学生の本分はバイト(サークル)ではないですから堂々としていたら良いだけです。ただ、会話がギクシャクしないようにように、答えられたらよいということです。

要は、誰に対しても当たり障りない内容の会話が出来ればよいのです。

「今日は良い天気ですね」
「本当に良い天気でね。」

おうむ返しでも良いわけです。

採用されたらわかりますが、社員の中で友達がいない人なんてそれなりにいますし、コミニュケーション能力(コミュ力)に問題ある人なんかもそれなりにいます。面接やいろいろなことをやっても、所詮その程度なんです。


このブログの内容おかしいんじゃないの?

このブログの内容おかしいんじゃないの?、このブログの書き手は偏屈なんじゃないの?、このブログの書き手はコミュ力0だろう?

そうかもしれません。そういう相手とでも表面上だけでも円満に対応できる能力が、企業が求めている「コミニュケーション能力(コミュ力)」です。

表面だけできれば問題ありません。可能なら、その対応が表面だけでないと周りや相手に思わせることができればなおよいでしょう。

そんな人間にはなりたくないと考える人を私は好きですが、なぜか就活がうまくいかない傾向にあるようです。世の中が間違ってる可能性もありますが、今すべき議論ではないでしょう。
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